kyu, 2024

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テクノロジーの発展とともに、様々な記録を実質的には無制限に残すことができるようになりました。一方で、ソーシャルメディアが生み出した不特定多数に対しての”見栄え”の意識は、今この瞬間に没入する自由や、こんなこともあったな、と振り返ることができる、何気ない思い出を残す自由を奪ってしまったような気がします。

90年代後半に生まれた私たちは、“経済成長神話”とデジタル以前の“情緒的な価値”の両方を失いつつある世代だと考えています。「失われた時代」と呼ばれ、誰かが信じた「未来は今日より良くなる」という基盤は、すでにそこにはなかったように感じます。インターネットとスマートフォンがもたらした、双方向性や即時性という過剰な”善意”は時間をかけて醸成することや曖昧さを受け入れる精神性を備えることを難しくさせたと感じます。
そんな自分たちのルーツに立ち返り、歴史の中の座標軸を決めることで、この挑戦が始まりました。

テクノロジーを否定するのではなく、その役割を再定義する試みです。 意図的な制約とは、膨大な「記録」の役割をテクノロジーに明け渡し、「思い出」の価値基準を醸成する。
激化するスペック競争から脱し、『制約と誓約』による意味を見出します。

心向くままにボタンを押し、その時間を最大限に楽しむ。必要十分な手間で、振り返った時に心が動く何気ない思い出を残す。注意を奪うような刺激ではなく、ふと目に入り、そっと思い出せるような思い出の形です。